小峠英二の若い頃、毛根は生きてたが小さいことに悩む脆弱メンタル!スキンヘッドに変更して覚悟ガン決まりでお笑い界のスターへの道へ!

今回は小峠英二さんの若い頃についてのまとめです。

 

小峠英二さんの若い頃どのような人だったのか?

 

主にどんなことをしていたのか?

 

若い時の年収なども含めて調査いたしました。

 

それではいってみましょう!

若い頃は毛根が生きていていいとこのボンボンみたい

こちらが小峠英二さんの若い頃の画像です!

小峠英二さんといえばスキンヘッドで有名なのですが、若い頃は髪がふさふさしております。

前髪パッツンの小峠英二さんの若い頃でした。

 

なんだか育ちの良さそうないいところのボンボンみたいですね(偏見)

案の定禿げてきてしまったそうです

24歳の頃から薄毛が始まり、小峠英二さんは20代後半になるにつれて段々と髪が薄くなってきたそうです。

小峠英二さんの親族も髪が薄い方が多かったのそうなので、案の定とも言うべきなのでしょうが・・・

 

遺伝もあるそうですが、本人が言うには金属アレルギーをもっているそうです。

 

金属アレルギーによって脱毛症が促進される場合もあるそうです(因果関係はちょっとわからないですが)

 

そういった理由もあって薄毛の進行が食い止められまい状態になりました。

 

薄毛に悩む日々

小峠英二さんの薄毛に悩む日々が続きます。

 

若い時にお笑い芸人としてまだ芽が出ない時のことでした。

 

お笑いライブに来るお客さんは女性客も多かったのもあり、「若くて髪があってふさふさの芸人が人気が出やすい」と思ってしまったりしていたそうです。

 

「ハゲが解消できる薬があったら300万円払う」とまで言ってたらしい・・・

 

真剣な悩みなんだけど、詐欺に引っかかりそうな人みたいなこと言ってるわ・・・

スキンヘッドにしてからメンタル覚醒して覚悟ガン決まりすぎ

出典:https://www.instagram.com/

そして36歳の時に全てのことを吹っ切るためにスキンヘッドにしたそうなのです。

 

スキンヘッドにして小峠英二さんは様々な事を悟ったそうなのです。

 

「自分が芸人として売れない理由は髪が薄いからだと思っていたけど、単に面白くないからだ」

 

「売れない理由を髪のせいにしていた」とか「嫌なことがあると髪のせいにしていた」ということを振り返って考えたそうです。

 

嫌なことがあったときに「ハゲのせいだ」と思っていたわけなのですね・・・

 

小峠英二さんのコンプレックスはとても根が深かかったのですね。

 

「自分がその状態で前向きになれるかどうか」といういかなる状態でも前向きになるのは自分次第だと覚悟ガン決まり状態になりました。

 

ちょうどそれ以降から小峠英二さんが売れ始めたので、ある意味ではスキンヘッドにしたことが人生の転機と言ってもいいのではないでしょうか?

 

若い頃の月収は月10万円ほど

小峠英二さんの若い頃のお笑いの月収で月に1万円だと言われております。

 

年収でいえば12万円ということで、やはり芸人さんというのはかなり厳しい仕事なのでしょうね。

 

アルバイトを含めると1カ月10万円ほどで生活していたと言われております。

 

現代日本だと生活するのが困難なのではないでしょうか?

 

若い頃やっていたバイトがエグイ

今現在ではアルバイトをやらなくてもよくなったそうですが、売れない芸人時代はバイトをして食いつないでいたそうです。

 

芸人という仕事は不安定なスケジュールなので、小峠英二さんバイトは芸人の仕事に差し支えがあったら即辞めるということをしておりました。

 

このような理由から若い頃は16ものバイトをこなしていたと言われておりました。

 

最後にやったアルバイトは害虫駆除だったそうです。

 

小峠英二さんは害虫駆除のバイトをして色々なビルをまわり、なんとネ〇ミやゴキ〇リを退治していたそうです。

 

このバイトのしんどいところの1つとして深夜の飲食店ビルに入って大量のゴキ〇リやネ〇ミに遭遇することなのです。

 

しばらくすると慣れると言いますが、最初の頃は絶叫していたそうです。

 

そんな現場に遭遇したら発狂してしまう自身があります・・・

 

そして罠をしかけて2~3時間待機するそうです。

 

罠に捕まった大量のネ〇ミの首を折っていくのが退治方法なのだそうです。

 

中には40㎝を越える個体もあったそうですが、ガチでえげつないことをやってましたね。

 

「罠をしかけて待ってる間は待機なのでネタを考えれるのが良かった」と言っておりました。

 

キングオブコントの決勝の日にもバイトをしていたらしいのです・・・

 

優勝できて良かったものの、優勝できなかったらえげつなかったですね。

若い頃のバイきんぐ結成の秘話

出典:https://www.instagram.com/

コンビ結成のきっかけは高校の頃の自動車教習所なのだと言われております。

 

そこで相方の西村瑞樹さんにたまたま会ったのが最初の出会いだと言われております。

 

教習所の時はそんなに話しはしなかったものの、その後に吉本興業の養成所の大阪NSCの集団面接で一緒になった時にテンションが上がってコンビを組んだそうです。

 

集団面接600人の中から10人1組ずつグループ面接をしていたそうですが、それで西村瑞樹さんと一緒になったのだからかなりの確率ですね。

 

小峠英二さんから声をかけて結成したそうです。

 

小峠英二の若い頃はモテた?

テレビで見る小峠英二さんは偏屈で天邪鬼なイメージではありますが・・・

 

実際の小峠英二さんは性格がイケメンで女性のエスコートの仕方も慣れている感じがあるそうです。

出典https://twitter.com/

坂口杏里さんと交際されていた時期もあるので今ではかなりモテモテなのです。

 

しかし若い頃はスキンヘッドにする前は髪が薄いことがコンプレックスになっていたこともあり、かなり後ろ向きな性格をしておりました。

 

「髪が無いからモテない」と思っていたかもれしれませんので、スキンヘッドになる前はそこまでモテなかったのではないかと思われます。

 

若い頃はヤンキー疑惑があった?!疑惑の理由

出典:https://www.instagram.com/

「小峠英二さんは若い頃はガラの悪いヤンキーじゃね?」と言われておりました。

 

結論から言うとそれはデマだったりするのですが・・・

 

どうしてそのようなことを言われるようになったのか?

 

その真相をまとていきたいと思います。

 

高校を留年してしまったから

小峠英二さんは高校を留年してしまったそうなのです。

 

留年した理由は決して勉強できなかったわけでは無かったのです。

 

一刻も早くお笑い芸人になりたかったために、「高校を辞めて大阪に行く」と担任の先生に伝えた時があったそうです。

 

当時の担任の先生は「退学じゃなくて休学にしなさい」と言ってくれて休学扱いになったそうなのです。

 

しかし、大阪の養成所の入学試験に落ちてしまったためにその影響で留年することになってしまったようです。

 

卒業式の日に「え?何で卒業しないの?」とめちゃくちゃイジられてしまい、それが原因で下の学年の子と仲良くなり、高校最後の1年間は苦も無く過ごせたそうです。

 

パンクバンドをやっていた頃がやべえやつでしかない

中学生の頃にパンクバンドに目覚めた小峠英二さんは自らパンクバンドを結成してボーカルを担当していたそうです。

出典:https://twitter.com/

バンド名は「アンダーザチェーンドッグ」で「小峠ナターシャ」の名前で活動していたそうです。

 

ナターシャって何でしょうね(笑)

 

全く意味がわからないのですが、とにかく雰囲気はすごそうです。

 

この時の小峠英二さんは「こいつやべえやつじゃね?」感がたしかにします。

 

奇抜でパンクな格好をしていたのでヤンキーと間違われてしまったというのが大きいです。

 

若い頃の免許証の写真が「某漫画のあれ」に思える

ヤンキーに間違われていた理由が若い頃の髪型もあったのかもしれません。

 

小峠英二さんの若い頃の免許証の写真の髪型です。

出典:https://blog.goo.ne.jp/byeking-kotouge

完全にやべえやつだ(笑)

 

パンクバンドをやっている延長でこの髪型なのでしょうが・・・

 

某漫画のこの方を思い浮かべてしまいました。

出典:https://twitter.com/

確かにこれではヤンキーと間違われてしまうかもしれません。

 

まとめ

今回は小峠英二さんの若い頃についてまとめさせていただきました。

・小峠英二さんの若い頃はまだ毛根が生きていた

・薄毛に悩んでいたが、スキンヘッドにしてメンタルが覚醒した

・若い時のお笑いの仕事は1万円程度

・やってたバイトが中々えぐい

・若い頃はヤンキー疑惑があったがデマ

読んでいただきまして誠にありがとうございます!

 

今回はここまで!それではまた!

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thank you for reading

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