ビートたけしの若い頃がオラオラ系イケメン!20代の恋愛観がピュアで臆病な性格なので、後に愛人つくった人とは思えない!

今回は大御所芸能人であります、ビートたけしさんについてまとめていきたいと思われます。

 

今回取り上げる部分はビートたけしさんの若いころに関しての記事を書いていきます。

 

ビートたけしさんの若いころの顔はどんな顔だったのか?

 

若いころはどんな仕事をしていたのか?そのころの収入はいくら稼いでいたのか?

 

若い時にあったエピソードなどまでを調査、考察していきたいと思われます。

 

それではいってみましょう!

若い頃の画像がイケメン指数が高すぎ!

こちらが若い頃のビートたけしさんの画像です。

 

めちゃくちゃカッコイイくっそイケメンですね…これはモテるわあ…

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なんか…コマネチとかやってる人と同一人物だとは思えないよね
あなたの発言は色々な意味でまずいからやめなさい

 

若い頃のエピソード

こちらではビートたけしさんの若い頃にあったエピソードなどを紹介していきます。

 

いったいどんなエピソードがあるのでしょうか?

 

それではいってみましょう!

 

遊び歩いているようでかなり真面目

ビートたけしさんは遊び歩いているように感じますが、かなり真面目な人なのだと思われます。

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周りが酒を飲んている時に本を読んで知識を増やしていたらしいのです。

 

飲み会で本を読んでいたら相当浮いちゃいますけれども、彼の成功はこういった細かいところの積み重ねだったりするのではないでしょうか?

 

伝説クラスになるとそれなりに日々コツコツと努力しているものなのですね。

 

若い頃に日本中で流行ったギャグを生み出す

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ビートたけしさんはあの日本中で流行ったあのギャグ、いわゆる「コマネチ」を生み出した人なのです。

 

コマネチの元ネタはモントリオールオリンピックに出場したルーマニアの選手の「ナディア・コマネチ」が元ネタになっております。

 

ナディア・コマネチさんは体操という競技で中々でないと言われる「10.00」という驚異的な数字をたたき出しました。

 

白い妖精と呼ばれた人ですごい人なのですが、詳しくは省きますが彼女の体操競技中の衣服をビートたけしさんがギャグにしたと言われております。

 

1980年のあたり、せんだみつおさんと楽屋での雑談中に生まれたそうです。

 

これが日本中に知れ渡ることになるとは誰も思いませんよね。

フライデー襲撃事件というある意味で伝説的なエピソード

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1986年12月8日に、ビートたけしさんが当時交際していた21歳の専門学校の生徒にフライデーの記者がネタにしようと声をかけたそうです。

 

しかし、女性は無視して立ち去ろうとしましたが、記者は女性の顔にテープレコーダーをかざしながら、手を掴んで引っ張ったりしたために全治2週間の怪我を負わせたそうです。

 

は~い、今の時代(でなくてもだけど)だったら完全アウト…

 

まあ、彼ら彼女らはこれでご飯を食べているために一生懸命なのはわかるけど、手を出して怪我させるのはアウトでしょ…

 

これに激怒したビートたけしさんは、たけし軍団11人で共謀しフライデー編集部に押し掛けたという事件でした。

 

最初は手を出さないというように、軍団には言及してまして、話し合おうとしていたと言われております。

 

しかしフライデー側の挑発的な態度に、暴行事件にまで発展してしまったということでした。

 

こちらがその当時のビートたけしさんの釈明会見です。

記者の質問に対してめちゃくちゃ堂々と話してて、しかも嘘が全くなく本音で話している部分が純粋にすごいなあと思います。

 

しかも一切誤魔化しや逃げが無いのもすごくて、「1人でフライデーに行こうと思わなかったんですか?」という質問に対して「1人で行くのは怖かったからね」という言葉は中々言えない。

 

法に触れたことをしたことは置いといて、この人の在り方は非常に魅力的だと個人的に思ってしまうのでした。

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「この人メンタルまでイケメンかよ」って思ってしまうのでした。

 

バイク事故で顔がすごいことに…

1994年の8月2日にビートたけしさんは新宿区南元町の都道でバイクを運転しておりました。

 

しかし、右カーブを曲がりきれずにガードレールに激突してしまい、4メートルも吹っ飛んだそうです。

 

一歩間違えば「良くて植物状態」とまで言われておりましたが、奇跡的に生還を果たすことができたと言われております。

 

その時の画像がこちらです。

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顔の状態がすごいことになっておりますが、生きているのが本当に奇跡なうえに半身不随や脳障害が無いのも奇跡的な状態だと、そう言われておりました。

 

若い時の恋愛がピュアすぎる!

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ビートたけしさんの若い頃の恋愛模様はどのような状況だったのでしょうか?

 

女性にモテて不倫とかしてしまっているので、若い頃はめちゃくちゃ破天荒は人物を想像してしまいます。

 

若い時は別にモテていたわけでも、女性をとっかえひっかえしていたわけでもなかったようで、むしろモテなかったと本人が言っておりました。

 

大学中退してアルバイト時代に付き合った彼女とは7年間交際していたという純愛ぶり、しかも会って喫茶店でお茶する関係性だったとかで「え?ピュアすぎじゃね?」と思ってしまいました。

 

その娘と関係を進めるのが怖くてできなかったと言っておりました。

 

すごい純粋ですねえ…

 

その女性とは芸人になるという夢を伝えたら別れてしまったようです。

 

芸人になって売れた以降は従来備わっていたものか、今までの反動なのかはわかりませんが、女癖の悪さに歯止めがかからないような状態になってしまいました。

 

時期は異なりますが、愛人が4人いたりとかなり破天荒な人生を歩みました。

若い頃の収入

19歳の頃にビートたけしさんが暮らしていたアパートは家賃が7500円だったことにもかなり驚きましたが、売れていない芸人時代に住んでいた部屋も中々のものでした。

 

ビートたけしさんが、芸人として売れていない時期に住んでいた部屋は、浅草の3畳一間のボロアパートに住んでいたそうです。

風呂無しで、トイレは部屋外の共同トイレ、三畳一間のところにちゃぶ台を置いて、寝るときは布団を敷いて寝ていたそうです。

 

夏は暑くて、冬は寒すぎる空間なのだそうですが、本当に住みにくくてかなわないっす(笑)

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 「あの時は出世の見込みとかなかったなあ…」としみじみと語っていた姿がすごく哀愁が漂っていてビートたけしさんの人生が垣間見えた瞬間でした。

 

今では成功を収めたビートたけしさんではありますが、人生の最後にはこういうところで暮らすのが夢なのだそうです。

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 「またここで月10万円ぐらいの生活」と言っていたこともあり、お笑いをしながらアルバイトで生計を建てていたのでしょう。

 

駆け出しの頃の収入はほぼアルバイト収入のみで月10万円もいかなかったのではないでしょうか?

 

腕っぷしが強かった?

ビートたけしさんは高校生の頃にボクシングジムのヨネクラジムというところに通っていたと言われております。

 

プロテストも受けようと思っていたぐらいなのでそれなりに腕っぷしも強かったのだと思われます。

 

しかもボクシング愛が深すぎて、話すとマニアックすぎて誰もついていけないというようになってしまうそうです。

 

大学を辞めて後にビートたけしさんが空港の荷物の上げ下ろしのバイトでのことでした。

 

そういうバイトに来る人というのは、学生の頃に空手や柔道をやっていたという、ガラの悪い人ばかりだったそうです。

 

そういう人達と揉め事になった時に勝ってたそうなので…

 

この経験でそれなりに強くなったというエピソードがあります。

 

若い頃は色々な意味でヤンチャしておりましたね…

 

仕事関係

こちらではビートたけしさんの若い頃の仕事関連についてまとめさせていただきました。

 

たけしさんの芸人になったきっかけなども考察していきました。

 

それではいってみましょう!

芸人を志したきっかけはなんとなく流れついた?

ビートたけしさんはそもそもどうして芸人になろうと思ったのでしょうか?

 

本人が言うには「たまたま流れついたところが芸人だっただけで、なろうと思ってなったわけじゃない。」とのことです。

 

「大学の機械工学科でレーザーの研究をしていたやつが、なんで漫才師になったかを説明できるやつがいるか」と言っておりました。

 

そういえば、ビートたけしさんは明治大学を中退しておりました。

 

「挫折して挫折して、折れまくって、そこに流れついたところが漫才師だった」ということでした。

 

この発言はビートたけしさんの「どうやったら芸人になって食べていけますか?」という質問に対しての発言です。

 

漫才師に必勝方法なんてないということが言いたいことだったようですが、確かにもっともな意見だと思われます。

 

当時大学生だった頃は、学生運動が全盛期の時で、たけしさんも学生運動に参加しておりました。

 

しかし、学生運動が終わりを迎えた際に、ビートたけしさんは自身の在り方を模索しなければなりませんでした。

 

うっすら芸能をやりたいとは思っていたものの、アングラ演劇も全盛期だったのですが、それには馴染めないので理工系だったために「文学は馴染めないけど演芸ならばいけるんじゃないか?」とのことで芸人を志したと言います。

 

1972年にビートたけしさんは、浅草にあるストリップ劇場の「浅草フランス座」芸人見習いとしてエレベーターボーイのバイトをはじめたそうです。

 

この期間は支配人兼座長の深見千三郎さんい弟子入りしてコントを学んでおりました。

 

代役として舞台に立った際にハプニングで爆笑をとったり、先輩芸人が自分よりも面白くないのに高級車を乗り回している姿に「こんちくしょう!」と思ったりしたことが原因で芸人として大成する覚悟などが決まったのではないでしょうか?

 

確かに高級車を乗り回す姿はめちゃくちゃイラっとするわ(笑)

 

反骨心と気骨が磨かれそうではあります。

 

漫才コンビ「ツービート」を結成

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 フランス座時代はコントを中心としておりましたが、2年先輩のビートきよしさんとコンビを組んで自身もビートたけしと名乗り「ツービート」を組んで漫才をする方向にシフトしました。

たけしさんが相当若く見えて、ぼっちゃんみたいな感じです(笑)

 

しかし最初の頃は全く売れていなく、フランス座にいた頃よりも困窮していたそうです。

 

紆余曲折あった後に、たけしさんが毒を吐いて、きよしさんがツッコミをいれるというスタイルを確立することができました。

 

そして1980年代に漫才ブームが起こったことにより、知名度を一躍あげることになったのです。

 

ビートたけしさんの毒舌の限りを尽くしたツッコミもさることながら、座布団の上に座って漫才をしたり、楽器を吹いて現れるなどの型破りな漫才をしていたそうです。

 

それでというわけではありませんが、ツービートの漫才が始まると楽屋にいる芸人がツービートのライブを見に行ってしまったために、楽屋が空になったそうです。

 

一般のお客さんだけではなく、芸人仲間までわかせてしまうとは…この頃からとてつもないですね。

 

 

芸人としての盤石の地位を築く

漫才ブームが下火となったころには、ツービートのビートたけしではなくタレントのビートたけしとして単独でバラエティー番組の司会として活動するようになります。

 

そして漫才ブームを利用して、芸人を集めて始まった番組、「オレたちひょうきん族」の人気が高まりました。

 

当時の若手芸人、今では大御所の明石家さんまさん、島田紳助さんも参加しておりました。

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「オレタチひょうきん族」のタケちゃんまんというキャラクターが人気でコンビにも関わらずビートたけしさんの人気がとどまるところを知りませんでした。

 

この頃から番組出演者中に押し掛け弟子志願者がわんさか集まりました。

 

その弟子志願者で作った軍団が、たけし軍団でした。

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それ以降ビートたけしさんは様々なバラエティー番組でレギュラーを受け持ちます。

スーパージョッキー

天才・たけしの元気が出るテレビ!!

痛快なりゆき番組 風雲!たけし城 

OH!たけし

世界まるごとHOWマッチ

オレたちひょうきん族

オールナイトニッポン

これらの番組でお茶の間の20時には最高視聴率をバンバンたたき出したそうです。

 

ビートたけしさんのお笑いの企画を立ち上げる時のスタンスとして、面白ければ正義と言わんばかりに、ビートたけしさんは本当にバラエティー番組などでやりたい放題をつくします。

 

バラエティー番組の「風雲たけし城」などその最たるものかと…

総工費1億円以上かかっているらしいですが、めちゃくちゃやばいですね。

今のご時世予算的にも、コンプライアンスの関係で放送するのが困難だと思われますが、ゲラゲラ笑っていたという人は多いですね。

 

これらのことを経て、ビートたけしさんは、芸人としてほぼ絶対的な盤石の地位を築いていくのでした。

俳優として映画に初出演

ビートたけしさんは若い頃には「戦場のメリークリスマス」に出演したと言われております。

 

今現在となっては映画監督もおこない、自身も映画に出演しているビートたけしさんは珍しくないのですが、彼の人生で初めて映画に出演しました。

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主演ではなかったのですが、ハラ軍曹というラストを飾るすごくいいポジションに起用されたと思われます。

 

映画を試写した時にはビートたけしさんは、自分の演技力の無さに絶望したと言われておりますが…まあ、芸人畑の人ですし味のある演技で良かったと思われます。

 

このことがきっかけになったのかはわかりませんが、ビートたけしさんが自身も監督も出演もおこなうというスタイルを確立していきました。

 

もしかしたら今回の映画の起用がその足掛かりになったのかもしれませんね。

 

歌手やったり、小説書いたり、クソゲー作ったりでもう大変

若い頃のビートたけしさんはマルチに色々な活動をしておりまして、歌手活動にライブ活動などもおこなっておりました。

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文学小説を出版したり、ファミコンソフトの制作の企画に携わったりもしたそうです。

 

ビートたけしさんが携わったファミコンソフトの企画でできた作品が「たけしの挑戦状」というソフトでした。

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制作スタッフと打ち合わせが長くなったときに、ビートたけしさんがお酒に酔って上機嫌で語った色々なアイディアを、スタッフは一言一句逃さずメモをとったものが全て詰まっていると言われております(真面目だ…)

 

攻略本無しだと謎解きとかガチで解けないために、クリアー不可能な伝説のクソゲーだと言われております(笑)

 

物語に脈絡が無かったり、変にリアルだったりで、まあ酔っ払って企画案出しちゃったらしょうがない…

 

ビートたけしの若い頃に関しての世間の評価

 

まとめ

いかがだったでしょうか?

 

今回はビートたけしさんの若い頃に関してまとめていきました。

若い頃のビートたけしの髪をオールバックにしたオラオラ系イケメン

後に愛人つくったりしてたのに若い頃の恋愛観がピュアすぎて面白い

ビートたけしの根っこは真面目

フライデーにたけし軍団で押し掛けた事件がやばい

バイク事故から奇跡的に生還するが顔が歪んでしまう

最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
それではまた。
>thank you for reading

thank you for reading

I'm glad if you come to read me again

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