今回は日本代表ラグビー選手の福岡堅樹選手に焦点をあてて書いていきたいと思います。
福岡堅樹選手はスピードスターと言われるくらい足が速い選手です。
サンウルブズに所属し、ボールをもってトライをするウイングというポジションです。
あっという間に抜き去ってトライに持ち込みます。
ラグビーワールドカップでの中心人物でもあります。
しかし福岡堅樹選手には幼い頃からの夢があります。
それはラグビーを引退したら医学部を受験して医師になるという夢です。
東京オリンピックに向けて期待が集まる彼ですが今季でなんと引退を表明してしまいました。
福岡堅樹選手はどういった経緯で医師になりたいと思ったのでしょうか?
彼自身の夢である医師に向けての想いを中心に記事を書いていきたいと思います。
福岡堅樹プロフィール
それでは福岡堅樹選手のプロフィールからみていきましょう!
- 名前 福岡堅樹
- ポジション WTBウイング
- 身長/体重 175cm/83kg
- 生年月日 1992年9月7日
- 出身地 福岡県
ラグビーを始めたのは5歳の時で玄海ジュニアラグビークラブに入って活動していたようです。
ラグビー選手として決して大柄ではない福岡堅樹選手ですが、その武器は前述した通りスピードにあります。
福岡堅樹の50mタイムは5秒8!
福岡堅樹選手の武器はスピードですが、50mのタイムは5秒8と言われております。
100mの場合は1.92倍の11.13秒といったところでしょうか?
世界的にみてもこれだけのスピードを出せる人というのは中々おらず、
抜き去ったら追いつけないそうです。
このようにボールをもって駆け抜ける様は圧巻といっても過言ではありません。
イングランド代表のヘッドコーチのエディジョーンズは「チーターより足が速いのでは?」という言葉を送ったほどです。
片岡堅樹は引退した後に医学部進学!?
かなりのスピードを武器に駆け抜けてきた福岡堅樹選手ですが、ラグビーをやりきった後には医師への道を志すと言われております。
ラグビー福岡堅樹選手、頭が良くて日本代表ウィング、五輪後は引退して医学部受験の為勉強もしてるって完璧超人かな?
— えむけー (@NurediMK) 2018年12月5日
ラグビーと医師とは中々イメージが結び付きにくいところはあります。
どういう因果関係でしょうか?
片岡堅樹選手は高校時代に2年生の時に左膝前十字じん帯を損傷し、3年生の時には右膝のじん帯を断裂するという大けがをおってしまいます。
その時に膝の手術をしてくれた先生との出会いがきっかけで医師の道を志すという考えに至ったそうなのです。
手術後にネガティブな考えをもつことなくリハビリに臨めたのは先生のおかげなのだそうです。
先生が精神面もケアしてくれたおかげでリハビリもポジティブにのぞむことができたそうなのです。
片岡堅樹選手が言うには
いつか僕も人を支える医師になりたい
とスポーツ整形の分野の医師としてスポーツに関わっていくことを表明しております。
福岡堅樹選手の実家は医者家系
実は福岡堅樹選手の実家もお医者さんの家系なのだそうです。
お祖父さんが内科医の町のお医者さんでお父さんが歯科医を務めているそうなのです。
子供の頃から医師に関しての強い憧れを抱いていたとか、
将来は高校2年生までは医師をやりながらラグビーをできたらいいなあと思っていたそうです。
すごく現実的に将来を見据えておりますね。
子供のころから医師になりたいと思ったのはそういうバックボーンがあったからなんですね。
福岡堅樹選手 福岡高校から筑波大学医学部を目指す
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高校2年生のころに筑波大学に行った先輩がラグビーを楽しそうにしているのをみて自分も筑波大学でラグビーをやりたいと思うようになります。
福岡堅樹選手はこの時期は医師になりたい、ラグビーもしたいと考えておりました。
こういう理由で筑波大学の医学部を受験しようという考えにいたったそうです。
福岡堅樹選手が通っていた福岡高校の難易度も偏差値65以上必要な難関校です。
福岡堅樹選手の学力も相当なものがあります。
しかし筑波の医学部は偏差値が70ほど必要というかなりの難易度を誇っております。
1度目の受験に落ちて浪人してしまいます。
ストイックなことに勉強をやりながらトレーニングは続けておりましたが、入試本番が近づくとどうしても勉強に注力しなければいけなくなります。
本人が言うにはあきらかに身体がなまってしまったそうです。
またトレーニングを続けているとはいえ、試合に出ていないと試合勘がどうしても無くなってくるそうなのです。
そんな1朗を経ての2度目の受験。
失敗ができない福岡堅樹選手ですが、前期試験で不合格という結果に終わってしまいます。
2朗して医学部への道か、後期で合格のレベルを落としてラグビーをとるか?
という選択をせまられます。
その時に自分が今本当にやりたいことで後悔しない道を考えた時
今自分はラグビーをやりたいということで、筑波大学情報学部に入学しました。
もう1年ラグビーを抜きで勉強に集中する選択も考えられなかったそうです。
色々と悩んだ末の結論だったと思います。
現在福岡堅樹選手の年齢から医学部入学から医師を目指しても決して遅いということもないでしょう!
今でも福岡堅樹選手は練習の合間に1日1時間勉強にあてているらしいんだ。
かなり厳しい練習の合間にさ。
すげえ!ほんとに脱帽するよ。 頭あがんないとはこのことだね。[/say]
大学生活をラグビーに打ち込むことを決意した片岡堅樹選手は1年生の終わりに日本代表に選ばれます。
2015年にはラグビーワールドカップのイングランドの代表に選ばれます。
この時の練習は練習時間は少ないもののかなり追い込まれたと言われております。
前人未踏の学生50連勝をはたしていた帝京大学を破るなど華々しい結果を残しております。
大学卒業後はプロのラグビー選手として2016年、パナソニック ワイルドナイツに加入します。
リオデジャネイロオリンピックの時には7人制日本代表に選ばれました!
リオ五輪、ベスト4で終えました。
メダル持って帰れなかったこと、本当に悔しいです。
ですが初めてのベスト4をこのオリンピックの舞台で達成できたこと、本当に嬉しく思います!
応援してくれた方々、本当にありがとうございました! pic.twitter.com/uGtsIZqvAN— Kenki Fukuoka/福岡 堅樹 (@kenki11) 2016年8月12日
メダルを持ってこれなかったことを悔やんでましたがベスト4はすごいと思います。
福岡堅樹選手はピアノも弾けます
余談ではありますが、福岡堅樹選手は5歳からラグビーをしておりましたが、3歳から中学生までピアノも習っていたそうです。
ベートーベンの悲愴が好きだと言われてます。
インテリジェンスで芸術的なセンスもあるというもはや何でもありですね。
彼の走る時のステップは独特のリズムを刻むそうですがピアノの修練が由来かもしれません。
まとめ
いかがだったでしょうか?
二つの夢を追い求める福岡堅樹選手の記事でした。
ラグビーをしながら通信教育で勉強をするという
福岡堅樹選手のアグレッシブな生き方は自分も見習わなくてはならない部分が多々あるように感じました。
福岡堅樹選手をみていると自分ももっともっと頑張っていこうと思えてきます。
そう思わせるだけのことを福岡堅樹選手はやっております。
東京五輪の後は引退してしまいますが、引退後も医師として突き進んでいくことでしょう。
今回はここまで、それではまた!